2009―――Jordan

2011-07-24

◆Gaza camp (hari-ma家)

sakibの帰り道、




Gaza camp の元同僚ハリーマの家へ




【久々のハリーマの手料理:モロヘイヤとホブズ】
私にとっては何よりのご馳走。

この国の人たちと食事をする時はたいてい、
 
50㎝近くある大皿にご飯をガバっとのせ、みんなで囲んで食べるのがよくあるスタイル。
 
けど、ハリーマの家にいくと、大皿とは別に私用に皿を用意してくれる。
 
 
半年くらいたって気づいたけど、
 
私の皿にだけいつも肉を入れてくれていた。
 
米の下にこっそり入っている肉、少し多めの野菜。別々のお皿。
 
気を使わせないハリーマなりの配慮なんだと思う。
 



1年前Gazaにいた頃、活動に、CPとのやりとりに、対子どもに、とりあえずイロイロなことに
何をどうしていいか分からず、悶々としていた時、
きまって彼女は用務倉庫に呼んで、このご馳走を、こっそり振る舞ってくれた。
 
「考えすぎるな」 「あなたらしくやればいいよ」 「一歩一歩でいよ」
 
「あなたの居場所を好きになってね」 
 
「いつも応援してるからね」
 
 
多くは語らないけど、ハリーマと食べるご飯は、いつもそういう味がして、
 
ガンバロウと思えた。救われた。前を向かせてくれた。
 

 
 
1967年の中東戦争でこの地に逃れてきたGaza campの人々は、
 
ヨルダン国籍を持つことができないため、政府からの援助も極めて少ないらしい。
(行政サービスの一部は受け取れいていない)
 
下水の整備が一番ひどいらしく、他のCampより独特な匂いがする。
 
 
中でも彼女の家は貧しく、20年近く学校の用務員のオバちゃんとして働いているが、
  
旦那の仕事も季節によってなくなることもしばしば。
 
 
もう一人の用務員のモナから聞いた話だけど
 
5人の子どもには1日2食の食事を与えるが、
自分は1食ですまし、水を飲んで空腹を満たすような日も少なくないらしい。
 
 
 
 

 
 
 
この日も私の皿には鶏肉を入れてくれていた。
 
 
――――なんてゆうたらいいんかな。
 

 
 
屋根が家の半分しかないので、夏の昼間は家の中にいてもかなり暑い。
 
私は暑さに強いので、大丈夫やでと言っていたけど、
 
子どもたちが、近所から扇風機を3台借りてきてくれた。
 
 
熱風が搔き回されて、だんだんヒンヤリしてきて、不思議な気持ちになった。
 
子どもたちはその変化を楽しんでるのか、私の反応見てるのか、終始笑って、こっちを見てた。
 
 
 
「昼寝する?」
食べ終わった後、いつも言ってくれる。
 
 
ご飯を食べたら、眠たくなってしまう私は、
 
初めてハリーマの家に時も、昼寝のつもりがついつい10時間近く寝てしまい、
気づいたら真夜中だった。
 
 
けど、この大好きなセリフに甘え、
 
小1時間ほどみんなでお昼寝した。
 
アラビーマットの横に水をまき、イビキをかいて寝てるハリーマの横で、私もスヤスヤ眠った。
 
 
その後、
 
ブドウの木のしたにいつもいる
 

 
ハリーマのお父さんに会いに行った
 

 
みんなでシャイを飲んで目を覚まして、あたたかい時間が流れる
 

 
ハリーマのお父さん
 
 
羊飼いの70歳のお父さんは英語が堪能で
 
「こんにちは」とか「ありがとう」とか、それはもう分かるよって簡単なアラビア語まで
横にいる間中、ずっと英語に訳してくれる。
  
 
(が、私の英語は中2レベルなので、いつも申し訳ない気持ちになる…。)
 

 
 
 
 
ハリーマのお父さんの羊たち
 

 
 
以前見た時よりも、羊の数が少し増えていて、なんだか嬉しかった。
 

 
 
パレスチナの歌を歌うラナ。その間に近くの親戚が集まってきた。
 
 
もうすぐ始まるラマダンの
 
イフタール用に取っておいたであろうタムル(なつめやし)
 
1つ1つのもてなしが、身に染みる。
 
 
私は何もしてない。
 
もらってばっかりだ…。
 

 
alwa-n,amujad,syukuran,ibrahil,sara,ahamad,ima-n…
 
ハリーマが撮ってくれた写真 
 
 
そういえばこの家族と写真を撮るのは初めて。
 

 
―――残された時間で何ができるだろう。
 

 
また明後日Gazaに行きます。

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